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[C345]

KIRINさんのお父さんも亡くなくちゃいましたか・・・・
親が亡くなるとほんと悲しくて辛いですね
(今でも母親が入院してた病院の横を通ると
まだ入院してるような気がするんですよねー)
年を取ると悲しい事が、多くなるんで
なかなか生きていくってのは、大変ですねー
                          合掌
  • 2013-09-05 16:10
  •  ショコラ
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[C346]

KIRINさん、大変でしたね。
他人の私でさえ読んでいるだけで胸が苦しくなってきました。
でもお父様は子供に看取られて幸せな最期だったんじゃないでしょうか。
そしてKIRINさんも思い残すことがないように尽くされたんじゃないですか?

しばらくは心身ともにゆっくり過ごして下さい。
金のことはそれからでも十分間に合います。
  • 2013-09-05 23:02
  • びわ湖
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[C347]

>ショコラさん びわ湖さん
あれから熱が出て少々寝込んでました、、
やれるだけやったので、私自身大きな後悔はないです。
父も幸せだったと信じております。

今では肩の荷が下りた感じもあり、前向きな気持になってきました。
事後処理はいろいろ大変ですなぁ・・
  • 2013-09-07 20:47
  • KIRIN
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[C348]

KIRINさん日付間違ってませんか?7月?
  • 2013-09-11 18:25
  •  ショコラ
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[C349]

>ショコラさん
あれ ほんとですね 直しておきます。
ご指摘ありがとうございました。
  • 2013-09-11 20:00
  • KIRIN
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最後の1週間

時は無情に流れた

8月24日 土曜日
病室のベッド上の父は、
痴呆に似たような症状で時たま少しおかしなことを言うようになっていた。
私は富山の家族のところへ帰る為、そのことを告げると寂しそうに手を振った。

8月27日 火曜日
新潟に戻った私は早速父の元へ駆けつけた。
体調が少し悪化しているようで、体のだるさを訴えていた。

いつも夕食を食わせて(ほんの少ししか食えないが)から帰るのだが、
この日は「まだ帰らないでくれ お前が帰ると寂しい」というような事を言った。

少し待ってから「また明日くるから」というと、
いつも通り「気をつけて帰れ」と握手を求めてきた。

1、2ヶ月ほど前から父は握手しながら、
「頑張って、頑張って」
と繰り返し言うようになった。
これは私に対してだけじゃなく、会う人すべてに。

翌28日水曜日午前10時
PCに向かっていたら電話が鳴った。
「こちら○○病院ですが―――」
父が不安がって、早めに来て欲しいと言っているらしい。

昼くらいに駆けつけたら呼吸がしづらそうでかなり辛そうだった。
全身がダルイと言い、声がかすれ、言葉を聞きとりづらくなっていた。

「背中、腰、足を揉んでくれ」というので揉んでやると、「ありがとう」と言った。

「ありがとう」
これまで父から言われた記憶がなく、違和感があった。
この1ヶ月は「頑張って、頑張って」と、この言葉を頻繁に使うようになった。

なぜか痴呆のような症状は完全に治まっていた。

私はこの日は病院に泊まることにした。

8月29日 木曜日
様態が悪いので姉に電話したら、今から向かうとのこと。

姉がきたので私は2,3時間所要を済ませて病院に戻った。
父は私を呼び、
「○○(私の名前) 助けてくれ」と言った・・

担当医と相談して、鎮静剤なるものを投与するかの検討に入った。

しかしこれを使うと意識が遠くなり、朦朧として、耳は聞こえても喋ることは難しくなると言われ、
それを聞いた父は投与を拒んだ。

「ダルイのは我慢する、喋れなくなるのは駄目だ」と。

この日は姉と二人で病院に泊まることになった。私は2連泊目。

8月30日 金曜日
夜中中全身のだるさを訴えて夜が明けた。
父は踏ん張っていた。

鎮静剤の投与を拒んだのは父であったが、私にも少しためらいがあった。

「出来るだけ苦痛を和らげ、苦しまないように逝かせてやりたい。」
以前から姉と相談して結論は出いていたはずだ。

担当医も今の状況は相当苦しいはずと言っている。


午後3時
「鎮静剤入れて、少し楽にしてもわわないかい」と姉と説得。
父は小さく頷いき、かすれた声で「そうしようか」と言った。

投与開始。
(限界ぎりぎりまで踏ん張って喋り返してくれた父に感謝したい。)
私は父の右手を握り、握り返してくれと言った。

確かなグリップを感じ、
「大したもんだよ おまえは本当に大したもんだ 本当に頑張った」
(新潟の私の実家の地域では「おまえ」というのは目上の人に対してよく使う方言のようなものである)
と言うと、何度か首を縦に振り、しばらくして眠りに入った。

この日も病院に泊まり、3泊目。

痰が吐き出せなくなり吸引機を使って何度か処置。

翌31日 金曜日
呼びかけに僅かな反応はするが、
目も閉じることも出来ず、ほとんど昏睡状態となった。

午前10時○分 心肺停止
担当医が「お力になれずに申し訳ありませんでした」といって去っていった。

様々な思いが走馬灯のように駆け巡った。
この3日間のことは強烈なインパクトを持って胸に焼き付いた。


今は葬儀を終え、事後処理を粛々とこなしている最中である。

父の愛用していたボロボロになった革財布から、15年前に他界した母の写真がでてきた。
財布ポケット部分に入るように、小さめに切り取ってずっと忍(偲)ばせていたようである。

私はそっと財布に戻し、しばらく窓の外の山々を眺めていた。


人間は愚かで弱い生き物だから間違いをおかす
愚かで弱いから賢く強くなれることも出来る
悲しみだけでなく、喜び、他人を慈しむことができる素晴らしい生き物

ただ「生」には限りがあり、それを受け入れていくことが出来るのも人間
悲しみを恥じることはない
悲しむことはそれを受け入れる準備だと思う


これは鎮静剤を投与したときに、嫁が私に送ったメールである。

私の二重生活もまもなく終わりを告げる。
そして以前と変わらない日常が戻るだろう。


最後までお読み頂きありがとうございました。
今まで本当にありがとうございました。

皆様と私自身の幸運を祈り完結といたします。
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KIRINさんのお父さんも亡くなくちゃいましたか・・・・
親が亡くなるとほんと悲しくて辛いですね
(今でも母親が入院してた病院の横を通ると
まだ入院してるような気がするんですよねー)
年を取ると悲しい事が、多くなるんで
なかなか生きていくってのは、大変ですねー
                          合掌
  • 2013-09-05 16:10
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KIRINさん、大変でしたね。
他人の私でさえ読んでいるだけで胸が苦しくなってきました。
でもお父様は子供に看取られて幸せな最期だったんじゃないでしょうか。
そしてKIRINさんも思い残すことがないように尽くされたんじゃないですか?

しばらくは心身ともにゆっくり過ごして下さい。
金のことはそれからでも十分間に合います。
  • 2013-09-05 23:02
  • びわ湖
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[C347]

>ショコラさん びわ湖さん
あれから熱が出て少々寝込んでました、、
やれるだけやったので、私自身大きな後悔はないです。
父も幸せだったと信じております。

今では肩の荷が下りた感じもあり、前向きな気持になってきました。
事後処理はいろいろ大変ですなぁ・・
  • 2013-09-07 20:47
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KIRINさん日付間違ってませんか?7月?
  • 2013-09-11 18:25
  •  ショコラ
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>ショコラさん
あれ ほんとですね 直しておきます。
ご指摘ありがとうございました。
  • 2013-09-11 20:00
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